詰めや被せ物、差し歯といった治療を受ける際、口腔内にそれらを留めておくために必要なのが接着剤です。この歯科用接着剤は、日本発祥の技術で1970年代前半に開発されました。
そして、接着技術を専門にする歯科の分野が「接着歯学」です。ですが、接着剤とだけ聞いても、くっついて剥がれないというイメージしかわいてきません。
愛知学院大学・冨士谷盛興教授にお話を伺うと、現在は「ライフステージに応じた接着歯学」が重要になっているといいます。では、ライフステージに応じた接着とはどういうことなのか、詳しく解説していただきます。
子供から高齢者まで!接着による口腔管理
歯医者さんで使われる接着剤の考え方は、単に「詰め物などをくっつけるため」というわけではないのでしょうか?
接着剤というと、一度ついたら外れない、剥がせないというイメージがあると思います。もちろん、外れないということは接着にとって非常に大切ですが、状況によっては容易に剥がせることも大切なんです。
昔の歯医者さんでは、悪いところを削った後、作製した修復物をセメントでくっつけて治療をするということが一般的でした。ですが、セメントが歯にほとんど接着せず、すぐに取れてしまうので、小さな虫歯でもたくさん削る必要があったんです。
そこで、削る部分をなるべく少なくし、歯のエナメル質だけでなく象牙質にも詰め物がしっかりとくっつけられるよう、歯科用の接着剤が世界に先駆けて日本で研究されたんですね。これが1970年代前半のことです。
そして最近では、接着を生かした予防、口腔機能の管理など「ライフステージに応じた接着歯学」という考え方が提言されています。
乳幼児期~学童期:乳歯を守る接着
小児の場合ですと、予防のために接着を利用することができます。子供の歯を虫歯から守るために、フッ素を塗るとします。歯医者さんや保健所で5分か10分かけて塗ってもらいますが、その後、フッ素が沈着するまで30分くらい待つ必要がありますよね。
ですが、子供は唾液量も多いですし、フッ素はおいしいものでもないので30分も待たせておくのは難しいと思います。そこでフッ素とともに、歯にねちねちとへばりついていられるような接着剤が必要になってくるんです。このように、飲んでも害がない粘着性の接着剤があります。
また、歯の溝に汚れが入らないよう樹脂で埋めてしまうシーラント。これは外れてはいけないものですから、強力な接着剤が必要になりますよね。
学童期~成人期:つく、外せる接着
冒頭でもお話ししましたように、虫歯の部分だけを削って詰め物をくっつけられる接着剤の登場は、20世紀の歯科界における大きな発見です。
また、学童期で歯列矯正を始めた場合、ブラケットが歯にしっかりくっついていることが大切ですが、矯正後にはきれいに剥がせないといけないですよね。
それから、仮歯。仮歯は本歯が入るまでの仮の歯ですよね。短い期間とはいえ、天然の歯と同じようにしっかりと噛まなきゃいけないわけです。しかし、本歯を入れるときには容易にとれてくれなければ、土台となっている歯にダメージが及ぶわけです。
でも、差し歯はすぐ取れないよう、歯の根っこにしっかりとついていないといけないですよね。接着が緩んできているにもかかわらず噛んだりしていると、根が割れてしまって歯を抜かなきゃいけなくなってしまうこともあります。
このように、ライフステージに合わせていろいろな接着を考え、接着剤とその技法を研究しなければなりません。繰り返しにはなりますが、がちっとついてはいるけれども、剥がしたいときには剥がせるという接着剤も重要なんです。
高齢期:健康寿命の延伸に貢献する接着
8020運動も国民に浸透し、現在の達成率(80歳以上で20本以上の歯を持っている高齢者の割合)は、50%を超えています。自分の歯がしっかりと残って、ちゃんと噛んで食事ができることは、健康長寿の源です。
高齢期では、歯肉が下がって歯の根(歯根)が露出しやすいんですね。厄介なことに、歯根はきれいにしにくく、さらに虫歯にもかかりやすいんですよ。
そこで、ねちねちした接着剤でフッ素を歯根にへばりつけさせるて虫歯を予防する。少々の虫歯なら進行を停止させることができます。また、不幸にして穴が開いても、がっちりとくっつく接着剤を用いて最小限の削りで修復し、口腔機能の低下を防ぐ。
そして口腔機能を守ることで全身のフレイルを防ぎ、健康増進、健康長寿に貢献できるのが接着歯学という分野だと考えています。
歯医者さんで使用する接着剤のイメージが変わりました。
歯科用接着剤というものは日本で生まれた技術なんです。海外で接着の研究をしている方は、日本に留学してくることが多いんですよ。
歯の教科書 編集部まとめ
歯科用接着剤の誕生
●1970年代前半、削る部分を少なくし、詰め物もしっかりと取り付けられるよう研究されました。
●日本発信の技術で、海外の接着研究者は日本に留学してくるケースが多いです。
ライフステージに応じた接着歯学
●くっついたら剥がれないだけではなく、剥がしたいときには剥がせるという接着剤も重要です。
●乳歯のときから接着を活かして、歯やその中の神経(歯髄)を極力保存し、口腔機能を管理します。
●高齢者になっても、接着を活かした歯の再石灰化を含め、お口の中の環境を改善することを将来にわたって行う口腔機能管理がとても大事です。
現代の接着歯学とは、単に虫歯になった部位だけを削って修復するための学問ではありません。乳歯の時代から接着を生かして、歯や歯髄を極力保存し、口腔機能を管理します。そして、高齢者になっても口腔機能低下はもとより全身のフレイルに陥らないよう健康寿命の延伸に貢献する学問体系なのです。
とくに、小児と高齢者のステージは、最小限の切削・接着修復に加えて、治療後の管理や自身のケアにより再治療を繰り返す負のサイクルに陥らないように接着を生かします。ときには、ねちねちした接着、あるいは一度つけたものを容易に剥がすことができる接着も重要になります。
そして、接着を生かした歯の再石灰化を含め、お口の中の環境を改善することを生涯にわたって行う口腔機能管理がとても大事なのです。
このように、ライフステージに応じていろいろなことを考え合わせながら、接着を最大限活かせるよう図る必要があります。
接着を活用したいろいろな治療のゴールは、患者さんによってさまざまです。時には、歯科医師が提案したゴールとかけ離れていることもあります。でも、健康寿命の延伸につながる治療については、誰も異存のないところでしょう。
ライフステージに応じた適切な治療と管理、そしてそれが自身のADL(日常生活動作)やQOL(生活の質)の向上になるよう主治医とよく話し合い、お互いに納得した方法を選択できる“二人三脚の歯科医療”が望ましい環境ですね。
執筆者:
歯の教科書では、読者の方々のお口・歯に関する“お悩みサポートコラム”を掲載しています。症状や原因、治療内容などに関する医学的コンテンツは、歯科医師ら医療専門家に確認をとっています。